2012年7月28日

測量士の勉強方法

測量士については、参考書などの書籍がほとんどなく、独学になってしまうと思いますが、参考までに私の勉強方法を紹介します。

私の場合はH22、H23を受験していたので、実物の問題が手元にあり、まず、それをスキャンしてPDFにしました。
続いて、Acrobatで余白をトリミングしてB5サイズにし、B5サイズで印刷しました。

印刷した問題を写真のようなバインダーノートに閉じました。
A4だと大きくて持ち運びにくいこと、ノートに貼ると重くなってしまうためです。

問題がない場合は、問題をネットで公開してくれているサイトもあるので、そちらのものを印刷するとよいでしょう。

それと、模範解答集は買っておいた方がよいと思います。
私もH21、H22、H23と、毎年買ってました。


























1週目は、各問題を解きながら、その根拠を探しました。

測量法だったり、準則だったり、その他の書籍だったりとできるだけ探します。
探し当てた根拠を、問題と同じように、B5サイズでコピーして問題の後ろに綴じます。

私は、仕事が終わってから職場でこの作業をしたんですが、午前でも1日に1問か2問程度しか進みませんでした。
場合によっては、根拠が見つからない問題もありました。






















また、計算問題については、準則や測量協会のテキストから計算方法を探して、計算過程を手書きでノートに書いて同じように綴ります。
















一部の計算問題や、写真撮影関係の問題については、右で紹介している書籍が結構役に立ちました。
買っておいても損はないのかなという気がします。

午後問題についても基本的には同じです。
記述問題が入ってくるので、それは模範解答集の文言をそのまま記述してしまいました。












1週目のこの作業が終われば、あとはひたすら繰り返して解きまくるだけです。
分からなくなったら、1週目で作ったノートを見て根拠や計算方法を思い出しつつ覚えればいいんです。

1年分だけだとちょっと少ないので、過去5年分は一通り解いた方がいいと思います。
H21とH23で少し改正が入ってますので、注意してください。

模範解答をそのまま覚えると失点する場合もありますので。
2012年7月21日

合格しました!

畑違いとはいえ3年も費やしてしまいましたが、平成24年度試験でやっと合格となりました。






















勉強方法はもっぱら過去問を解くことでした。
解きながら計算過程を確認して、暗記しなければならないものは暗記カードを使って覚えました。

準則の計算式集も、過去に出題された計算式は暗記しました。

暗記することが非常に多かったんですが、1年とか時間を掛ければあらかた覚えられると思います。

大変な3年間でしたが、次は土地家屋調査士を目指して頑張るつもりです。
2012年4月30日

受験票が届いた!

受験票が届きました。

一昨年は午前で落ちて、去年は午後で落ちてしまいましたが、今年は何とか受かりたいです。

で、またもや会場が電通大!
群馬からだと遠いんだよ~。
せめて中央工学校にしてほしかった。

ってか、埼玉くらいに会場を一つ設けてくれないのかな?


2011年12月4日

長野の電子基準点(軽井沢)

「佐久」の次は「軽井沢」へ向かいます。
今まで何度となく行った旧軽井沢のすぐ脇に電子基準点があると知ったときはもうビックリでした。

とりあえず国道18号線に出るために県道9号線に入るはずが、県道137号線に入ってしまって、ちょっと道を間違えました。
が、軽井沢方面へ向かえば出られるだろうと楽観的に進み、18号に出た後は軽井沢駅を目指します。

軽井沢駅を右手に通り過ぎて最初の信号を左折します。
一度周辺をうろうろしましたが、駐車場がないので、町営の駐車場に駐めることにしました。
最初の1時間は無料だそうです。



















写真中央の建物はトイレなんですが、ちょっと借りたらとてもキレイでした。
旧軽の町営立駐の公衆トイレは臭いですからね~。

で、この駐車場の向かいにある「大賀ホール」の周辺にあるはずなので歩いて探しに行きます。


















というか、探すほどもなく建物の裏側にありました。


























奥に電子基準点が見えました。














































ここの電子基準点は、珍しくパイプで囲まれていました。
この公園は電子基準点より跡から整備したから段差ができてしまったのでしょうか?

というわけで、長野県の4基の電子基準点を見ることができました。

走行距離は199kmでした。
さすがに群馬県内を巡るよりも距離的に厳しいです。

ちなみに、帰りは旧道を通って帰りました。







長野の電子基準点(佐久)

「望月」から「佐久」へはわりと簡単に行けました。

いったん国道142号線に出て、県道44号線に入って国道156号線を進むだけです。
距離は長いんですが、右左折が非常に少なくて楽でした。

で、44号線を「なんか見覚えがあるな~」と思いつつ運転をしていたら、どうもこの道を通るのは3回目でのようでした。

1回目は、長野県岡谷市でセリカの全国レベルのオフ会があって、その帰りに使いました。
2回目は、ラパンは「SS」「FF」「マニュアル」「限定色の白」を探しに探して、愛知県犬山市まで買いに行って、その帰りを自走で帰ったんですが、そのときに使ったっぽいです。

さて、佐久市街を抜けて156号線を進むと左手に平根小学校が見えてきます。
北側の児童館との間に道のようなものがあったので、学校の北へ車を止めます。

ふと、前を見ると、電子基準点が目の前にありました。


















校庭への門は閉められているし北側は児童館の敷地では入れないしと考えながら校門へ行ってみると、門が開いていてありがちな「関係者以外立ち入り禁止」の看板・札類がありませんでした。

というわけで、良くはないんだろうと思いつつも、入らせてもらって、できるだけ校庭の隅を歩きながら電子基準点まで行きました。











































































小学校の敷地内に、囲いもなく設置してあるのでしょうが無いんでしょうが、付属標がかわいそうなほど泥だらけでした。


























校門から入ってすぐ右に、東経138度30分の碑が立っていました。

長野の電子基準点(望月)

「東部」に続いて「望月」を見に行きました。

道中、旧中山道の宿場の面影が結構残っていてゆっくり見たい衝動に駆られましたが、何とか我慢して電子基準点を目指しました。

国道18号線の「常田」を右折して、一部県道40号線に入りますが、県道166号線を進みます。
旧望月町役場を東(山の方)に進み、望月総合体育館(ここまでの経路では、別な名称で標識が出ていました、忘れてしまいましたが…)を目指します。

思いの外上まで登らないと辿り着けません。
谷を越えるときに、こんな橋もあります。




















駐車場のような広場に出ます。
ここに置いて歩いても登れますが、車で行った方が良さそうです。




















登り切ったところに体育館があります。


















この体育館の南西側にありました。




















駐車場の一角にあるせいか、車がぶつかったような跡がありました。

私が訪ねて行った日は、何かイベントがあったようで大学生くらいの人たちがたくさんいました。

長野の電子基準点(東部)

群馬県内の電子基準点を制覇したので、行き慣れた長野県の東部を巡ってみることにしました。

「軽井沢」と「佐久」だけにしようとしましたが、来週の天候が悪くなりそうなので、「東部」を見てその帰りに「望月」「佐久」「軽井沢」の順で3つを見る経路を設定しました。

経路はこんな感じです。


大きな地図で見る

県道4号線に入るまでは国道18号線をひたすら西へ進む単調な経路です。
4号線は途中で上信越自動車道を見下ろし、なかなか見られない景色になります。

「東部」へは田沢の次の信号を下ればいいだけです。




















しばらく行くとこの地区の農業集落排水処理場が見えてきます。


















見つけたのはいいんですが、この電子基準点はフェンスの中に設置されていて中を見ることができません。
ただ、幸いなことにフェンスのすぐ近くに設置されています。
今回は設置場所が入れなそうな施設だったので、4段の脚立とEF70-200mm F4L IS USMを持ってきています。

木と木の間から撮影することにしました。








































撮影を終えて、また国道18号線に戻るんですが、一面こんな感じの景色が広がっていました。


















また、滋野・海野・望月という地名がありました(根津がなかった)。
いわゆる滋野三家です。
























清和源氏の流れをくみ、滋野氏とその嫡流に準じる家柄である海野氏・望月氏・禰津氏のことで、真田氏も海野氏の諸派だったけど、主家を上回るほどに力を持ちその後はご存じの通りです。

真田十勇士にも、「海野六郎」「望月六郎」「根津甚八」がいて、いずれも実在の人物のようです。

もうちょっとゆっくり見てみたかったんですが、後がつかえているのであきらめました。